信じられるデザイン展

六本木ミッドタウンのデザインHubで行われている「信じられるデザイン展」をみてきた。

「信じられるデザインとは何か?そのデザインはなぜ信用できるのでしょうか?」について約50人のデザイナー(グラフィック・プロダクトなど)が答えとその理由を書いている。

50通りの答えと理由があって面白かった。気になったものをいくつか紹介する前に「信用」という言葉について少し考えてみたい。というのも、昨年の大震災以降この「信用」という言葉をよく目にするからだ。では、信用とは何なのだろうか。最近当たり前のように使っていると共にその意味についてはわざわざ調べるまでもないかもしれないが、あえて調べてみる。普段使っている言葉でこそ、その意味を問われると説明に窮するものもあるからだ。(左右、上下など)

大辞林で「信用」を調べると、
・人の言動や物事を間違いないとして,受け入れること。 「彼の言葉を−する」
・ 間違いないとして受け入れられる,人や物事のもつ価値や評判。
とでてくる。

ちなみに、信用とともに頻繁に使われている「信頼」については、
・ある人や物を高く評価して,すべて任せられるという気持ちをいだくこと。
〔類義の語に 「信用」 があるが, 「信用」 はうそや偽りがなく確かだと信じて疑わない意を表す。それに対して 「信頼」 は対象を高く評価し,任せられるという気持ちをいだく意を表す〕
とかかれている。

信用は信頼に比べ、(信用する)対象と(信用する)と判断を下す側が信頼のそれより近い距離にあると考えられる。

最近読んだ「私たちはどうつながっているのか」には、信用と信頼の違いについて興味深い引用があった。

信用と信頼の違いを北大の山岸俊男は「信頼の解き放ち理論」において、信頼は「赤の他人を信頼できるかどうか」という尺度で定義した。(これは一般的信頼といわれている)・・・(略)・・・日本人が身近な人を信用するには一般的信頼ではなく「安心」と定義される。また、信頼と安心は対極にあり、信用という言葉は曖昧に定義されている。


信用を安心と置き換え考えてみると、汚染の恐れのある食物の信用を取り戻すために厳密な検査が行われているとというニュースはよく耳にする。それは、消費者が食べても体に害の無い安心な食べものだからだ。(厳密にいうと害のない食べ物はないという考えもできるが、それはここでは考えない)

信じられるデザインを安心できるデザインと読み替えてみると、例えばはじめて手に取ったものでも、取扱説明書の必要の無い直感的に手になじんで使うことができるデザインであったり、間違って使っても怪我をしないデザインといった設計に直接関することから、そのデザインがあるだけで心が落ち着くような精神的に訴える部分も考えられるだろう。

信じられる(信用できる)デザインを辞書どおり捕らえると、間違いないと受け入れられるものとは、既に自分が長年愛用しているものだったり、もしくはだれがデザインしたのかは分からないものの、形を変えずに社会一般に流通しているデザイン(アノニマスデザイン)というのもあるだろう。

50通りの答えはいくつか回答が類似しているものもあったけれども、大方様々で楽しめた。

印象に残っているものとしては
・一人の消費者として選んだMUJIのマグカップ(毎日使っていてその使い心地が信じられる):永井一史さん
・目盛りのあがり方で熱がの有無が直ぐにわかる水銀温度計(体温の情報が視覚的に伝わりやすい、水銀は環境にはよくないが):佐々木千穂さん
・個の哲学思想に基づき具現化された作品として選んだめし茶碗:平野敬子さん(ちなみに、原研哉さんも茶碗でした)
だった。

5月27日まで開催中。
自分の信じられるデザインは何か?を考えながら見ていくと楽しめる展示だと思う。

私たちはどうつながっているのか―ネットワークの科学を応用する (中公新書)

私たちはどうつながっているのか―ネットワークの科学を応用する (中公新書)