第50回UTalkに参加しました。

UTalkに参加してきました

UTalkは月に一度、東京大学の研究者の方を招いて、研究内容について話をしてもらうという小規模な公開講座のようなものです。公開講座といっても、研究者の方は毎月変わることと1時間という時間なので、テーマに興味があれば気軽に申し込むことができます。天気が良い日は屋外で開催されるようです。参加者は15人という少人数で、参加者がオーバーした場合は抽選になるようです。

今回が丁度50回目のUTalkでした。テーマは「電話について。」
お話はメディア論をテーマにされている水越伸先生です。また、進行役としてこのイベントを主催している森玲奈先生もいらっしゃいました。

●イントロダクション
今となっては当たり前のように使われている電話であるが、発明されてしばらくは、コミュニケーションをする方法というよりも、一方的に何かを伝える手段として用いられた。(当時の様子を先生が持参された本で確認)
コンサートの演奏や、読み聞かせといった、いわゆるラジオの役割を果たしていた。(ラジオが発明されるのは電話よりも40年ほど後になる)

●黒電話
 日本に電話が導入されたのは明治時代だけれど、普及したのは戦後に入ってからだという。一般家庭や職場に設置されていた一般的な電話として黒電話があった。今回の参加者のうち約半数がこの黒電話を見たり、使っていたりしていた。当時東京大学で使用されていた黒電話が紹介され、参加者の間で回覧された。

私の家にもこの黒電話はあった。とはいっても小学生低学年くらいまでこの黒電話だったと記憶している。この時期には電話をかけることはなかったと思うが、離れて暮らしている祖父母と話をするときに重みのある黒い受話器を持ち、話をしていたのだと思う。呼び鈴が良く響き、電話が鳴るたび「うるさいなー」と思っていたのを思い出す。新しい電話にして良かったことの1つに呼び鈴がうるさくなくてすむということだった。
今回久しぶりに黒電話をみて、電話をもった時の重量感と黒く塗られ光沢を帯びた電話は、それだけで存在感があった。ダイヤルを回すと、ジーという低い音をしながらもとの位置に戻ろうとする。警察を呼ぶための119番はダイヤル式電話でかけた時に、ダイヤルの9がまわりきるまでに落ち着いて用件を伝えられるようにこの番号となったという話を聞いたことがある。プッシュ式となった今では電話をかける時に番号を押すのにはダイヤル式の場合と比べて圧倒的に早くなったけれども、早くつながらないと焦りを感じてしまう今とはまた別の時間が流れていたのだと感じる。いうまでもなくポケットに忍ばせている軽く、小さく、薄いスマートフォンと同じものには見えなかった。

●電話のプロトコル(手順)
電話応対を学ぶ機会はあまりない。あるとすれば新入社員研修のころだ。しかし、今となっては多くの人が携帯電話をもっているし、当たり前のように使っている。社会人になるまでに電話の受け答えを習ったという記憶はほとんど無い。

電話の終わり方は各国によって異なるようだ。水越先生によると、韓国人が電話をかける場合はあらかじめどういうネットワークでつながっているのか分かっているので、電話は前置きなく、用件が終わったらあっさりと切るようだ(日本人にとっては終わりのやり取りが無く急に切れてしまうので、もやもや感が残る。水越先生によると、日本人は用件が終わってから電話を切るまでの時間が長いという。)

これについては私も経験がある。ある大学で海外留学や外国人留学生を取りまとめる部署で働いていた時のこと。学内の手続きで、学生から直接この部署に電話がかかってくることがあった。全ての留学生がそうではなかったけれど、いきなり用件から切り出して説明する。電話を受け取る側はいきなり用件をいわれてもわからないのだけれど、たどたどしい日本語から留学生と判断し、対応できそうな担当に電話をつなぐ。ただ単に電話のプロトコルを知らないのかもしれないが、この話を聞いて少し納得した。


●技術と普及
携帯電話に新しい技術がついてから普及するためにはタイムラグがある。例えば携帯にカメラがついたのが2000年頃、写メールが普及したのが2003年。そのうち動画を添付することも可能になったし、カメラでお互いの電話を確認しながら電話することもで来るようになった。過去の自分を振り返ってみても、カメラという機能がついても最初はそのカメラで写真を撮るという習慣は全くなかった。むしろ抵抗があった。カメラ付き携帯で写真を撮られることに抵抗を感じる人もいた。(私もその一人だった)
カメラという機能に何の魅力も感じていなかったが、キスのポーズをして写真を撮り、恋人にメールするというCMをみて、こういう使い方もあるのか、と思わず納得した。おそらくその時見ていたCMがこれ。(久しぶりに見て思ったのだけれど、まだその時カメラが背側しかなく、自分が画面に映っているのか分からずにあの写真を撮るのは至難の業だったろうな)

今はスマートフォンが普及し始めている。いつの間にか携帯電話には複数の機能が備わっていて、電話という機能よりもその他の機能が主になり始めている。通話よりもメールのやり取りが多く、Twitterfacebookのようなアプリケーションが当たり前のように入っているし、若い人は当たり前のように使いこなしている。しかし、短いサイクルで技術が更新されつづけると、技術についていけなくなる人もでてくる。携帯電話はどう発展していくのだろう。電話という機能が主用途ではなく、それとは別のものが主になっている携帯電話はもはや電話ではなくなりつつある。けれど、それで本当に良いのか?というのが水越先生の意見でした。

水越先生が所属している情報学環の調査では、最終学歴が高く、年収が高いほど新しいサービス(facebookなど)を使いこなしているという傾向があるという。私の知り合いでもTwitterfacebookの存在を知っていても、あえて手を出さない人もいる。私の場合ではTwitterでフォローしている人のなかでよく目にするサービスが一般的な認知度とは異なることも経験した。少し前のことだけれども、2010年にfacebookを題材とした映画「social network」が封切られた時に、メディア業界で働いている方から「日本にもgoogleを知らない人が一定数いる」という話を聞いた。もちろんそれを聞いたときは驚いた。日常的にインターネットに触れている私からは想像できないが、全く必要としない人もいるのかもしれない。
Digital Divideという言葉の分類では地理的な問題で情報格差が生まれるとあるが、それとは別に、その存在を知りながら、使わないことを選択した結果、得られる情報に差がでることも今後増えてくるのだろう。そして、今はどうにかついていけるものの、ついていけない人がでてきたり、ついていこうと思っても、既に遠いところにあって入れないということもあるだろうか。いくら技術が進歩しても使う人間には変わりはない。誰もが当たり前に使えていたものがいつの間にか一握りの人しか扱えない。それはおこらないで欲しい。

最後に気になるまとめがあったので紹介。
都市生活者でないとソーシャルメディア的な機能を求めないのではないか、という仮説