菊地敦己 連続対談シリーズ「つくるということ」第1回 ゲスト 青木淳(建築家)

青山ブックセンター(ABC)で開かれたアートディレクターの菊地敦己さんと建築家の青木淳さんの対談を聞いてきました。

菊地さんが気になっている方々と月に一度対談をする形式になっています。
今後の予定については、青山ブックセンターのHPをご覧ください。
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201010/_1_109.html

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I.連続対談を立ち上げた理由

ABCの会場の座席には、菊地さんが何故このような連続対談を立ち上げたのかが1枚の紙にびっしりと書かれていました。

全文は菊地さんのHPにも書かれています。興味のある方は読んでみてください。


II.青木さんの作品批評

青木さんがこれまでてがけてきた住宅を菊地さんがどのように感じたのかを話し、それについて青木さんが設計の意図を語りました。

説明は青木淳さんのHPを見ながら進められました。そのときのやり取りを簡単につづっていきます。

Oについて

菊地:一つの住宅には思えない。意図が見えない、奇妙な感覚

青木:見て分かるものではなく、構成で何が出来るかを考えてつくった。人工的なものを自然に、逆に自然なものを人工的に見せる工夫をした。
妹島(和世)さんにも見てもらったけれど「全く分からない」といわれて少しショックだった。
課題に対してきれいに解けるというのはただの仕事。その先に何かあるのではないか。それは、担当者によって変わって来る。
ルールの中に縛られるのではなく、どこまで遊べるか。


Cについて

菊地:Oに比べると、とても分かりやすい。けれど、Oの面白さを知ってしまうと少しつまらなく見える。でも、どちらかと言うとCのほうが好き。SANAAは理解しやすい。青木さんは分けが分からないものを探しながらつくっている気がする。

Lについて

青木:土地に元々あったコンクリートの塊からアイデアを得てできた家。無造作に建っているように。全体的にはアンコウのような形をしている。上から垂れてくる出っ張りは、青森県立美術館に通じるものがあるかもしれない。

菊地:白が薄っぺらくみえる。壁紙のような印象のものも有る。

青木:白だけで表情をつくろうと試みた。

青森県立美術館について

菊地:この建築に対する批評が全体的に少ないのは何故か(良い評価も悪い評価も少ない)

青木:ここでは、場をどのように使うかということに対して新たな例を提示した。例えば、美術館の入口や館長室、構造の見せ方など(三層で構成していることを言いたかった)批評が少ないのは、トレンチと白いボリュームのかみ合わせだと思って見に行ったら、実際にはそうではなかった(と見た人が感じた)からかもしれない。

菊地:批評するための軸を読み取れなかったのかもしれない。分からないものをなかったものとしてスルーしてしまうのは残念だ。

青木:この建物では、時間が経っていく中で育っていくことをイメージしている。色々と使われていく中で朽ちていく(ここでは腐ってボロボロになるという意味ではなく、気候にさらされる中で深みが増すようなイメージを意味する)

菊地:課題に対しての答えが一つではなく、別の答えがあってもいい。今は一つの答えを求めすぎる傾向にある。分かりやすいものを追い求めていく事が全てではない。

青木:課題の解決のアプローチの仕方が菊地さんと違うのが興味深い。私は進むごとにルールを作り変えるが、菊地さんはルールは出来るだけ守るようにする。出来るだけ大元に戻ろうとする。すると、最後に突破口が見える。

青木:青森は蛍光灯が取り替えられずに薄暗くなっていて、パチンと消える。というイメージがある

菊地:そうですね。パチンと消えるイメージ。なので、サインをネオンにしました。

・来年の春に青森県立美術館で行われる青木淳×杉戸洋展について

青木:青森県立美術館では場の新たな使い方を提示しているけれども、まだあまり上手く使われているようには思えない。来年5周年を迎えるにあたり、個展を開かないかと要請があった。しかし、自分の立場上、自分が個展をするというのも変な話なので、まだ上手く使われていない空間を上手く読み込んでいる杉戸洋さんと組むことになった。

菊地:杉戸さんとはどのように出会ったのか。

青木:以前自分が設計した建物に、たまたま杉戸さんが見に来て、空間について細かい意見を聞いた。(ここは10cm狭くしたほうがいいなど)杉戸さんはアトリエを自分で設計しており、作品とその空間の関係性について、深く考えている人。まだ上手く使われていない青森県立美術館にも、杉戸さんであれば新たな展示の方法を探ってくれるのではと期待している。

・レム=コールハースについて

菊地:以前AMOとやりとりすることがあって、コールハースについて調べたのだが、彼の作風にはイデオロギーがないように感じる。彼は資本主義にどういう立場をとっているのか

青木:あくまで私の捕らえ方ではあるが、資本主義をつきつめたら、「これほどやばいんだよ」という作品をつくっているように見える。やばいにも2種類あって、単純に危険なものと、魅力に感じることもある。それを建物にしてあらわしているのではないか。

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いくつかの話題は省きましたが、このような内容でした。

青木さんと菊地さんの共通認識として出てきたことが、「課題に対する回答に一つのものを求めすぎている傾向にある」と言う点。色々な情報があふれているなかで、物事に対する考え方はもっと別の考え方があってもいい。青木さんの静かなたたずまいの中にも均質化していく価値観への「反抗」の思いが垣間見れた時間でした。

また、菊地さんは青森県立美術館の時に始めて建築家(青木淳さん)と話をしたようです。菊地さんは仕事をするときには、事前準備はほとんどせずに、その場でインスパイアされたものから作り上げていくようですが、今回の話を聞いていても、写真一つとってみても、深い観察眼をもっている方だなという印象を受けました。

原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か

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