コクリコ雑感

ネタばれがあるので、まだ見ていない方はお気をつけください。

コクリコ坂から」を公開初日に見てきた。

感想はというと、良いか悪いかでいうと、良かったのですが、「これいいよ」と人に薦められるほどその良さがわからない。という自分の中でどう判断してよいか分からない映画でした。ただ、見終わった後の心地よさから、「良い映画だった」と後から自分の気持ちに気づかされている感じ。

TwitterのTLをみていると良かった、という人が多く目にしますが、Yahoo映画の感想を見ると賛否両論になっています。
何で、こんなに意見が分かれたのかを考えてみると、「特別なことが無い」映画だからだと思います。

少し脱線しますが、映画を見る前に映画の評判を調べてから見に行く事は個人的に好きではありません。評判を見てから映画を見てしまうと、その評判と比べて自分の感想がどうだったか。という話になってしまいます。それは順番として逆のような気がします。つまり、感動するために映画を見るのではなく、映画を見て感動した。映画だけではありませんが、良いか悪いかを決めるのは人それぞれあるだろうし、印象に残る部分も人それぞれです。なので、自分が映画を見に行く時にはなるべくあらかじめ予習をすることはありません。

話を戻すと、「コクリコ坂から」のあらすじを強引に言ってしまうと

「好きな人が出来た。兄妹だったと死って落ち込んだけど、ホントは違った。よかったね。」
映画には悪者は出てこないし、空を飛んだりできない普通の人。主人公はいわゆる優等生タイプ。話は淡々と進むし、主人公達はあまり感情をあらわにしない。(というよりも、好きな相手に対する感情をあえて描かないように見えた)

自分が印象に残っている場面は、「海が俊に告白をする所」、と 「海が母親から事実を伝えられた時に泣き出した所」だった。

告白をしたシーンでは、まだ2人が兄妹の関係だと信じていた分、その分告白する海には勇気のいる行動だっただろうし、それを俊も手を握って受け止めた。手を握っていた時間は僅かだったけれど、その場面はとてもきれいだった。

母親から事実をきかされて泣き出した海の姿を見て思い出したのが、となりのトトロの中でサツキが母親が死ぬと思い、泣き出したシーンだった。
海の涙には色々な感情が混じっていると思うけれど(そして、それは描かれない)、あのシーンで海に対する印象がいわゆる優等生タイプから普通の女の子になったのだと思う。

何気ない日常を描く時に一人にフォーカスを当てるとカメラを向けて、その気持ちまで描いてしまうと、作り手の見え透いた意識が見えてしまっていやになる時がある。けれど、あえて、少し離れた所から淡々と撮る。カメラの意識をなくす。見る人に感じる余白を残す。作り手から与えられるというわけではなく、見る人が見つける。そして、じわじわと心地の良い感じが残っていた。


宮崎駿氏の覚書
企画のための覚書 「コクリコ坂から」について