ソーシャルネットワーク

昨日東京国際映画祭の特別招待作品「ソーシャルネットワーク」原題「The Social Network」を見てきました。

日本公開は来年の1月です。まだ時間があるので、興味のある方はこちらを見ておくと、より楽しめるかと思います。

映画「ソーシャル・ネットワーク」を見る前に予習をおすすめするものたち

映画の内容について簡単に言うと、Facebookが生まれてから100万人の会員数を獲得するまでの話です。しかし、その過程で訴訟が生まれ、それに対するやり取りをしながら現在と過去を行き来していきます。

日本ではまだあまりなじみのないFacebookですが、既に世界には5億人の会員数がいるといわれています。Facebookが運営を始めたのは2004年。短期間にこれだけの会員数を集めたのですから、一見すればサクセスストーリーの映画と捕らえられるかもしれません。

既に公開されているアメリカでは全米1位になるほどの人気が出ているようですが、”見る人によって、この映画の感想に差が出てくるのではないか”と思う部分があったので、感想の差異が生まれるかと思われるポイントを3点挙げてみます。

1.Facebookが出来たきっかけ
映画ではFacebookが生まれるきっかけとなる出来事について書いています。それは、主人公からすれば酒に酔って行ったことですが、見る人によっては(特に女性)、この出来事に少々興ざめをしてしまうかもしれません。

こちらは以下の映画紹介でも簡単に触れられています。
TBS RADIO 2010年10月22日(金) 映画評論家 町山智浩さん - 小島慶子 キラ☆キラ

2.アイデアを形にする
映画の中の一つのキーワードとなる問題です。詳細についてはネタばれになりますので控えますが、「何」が「誰のもの」かを見て行くと、主人公の評価は分かれることになりそうです。

3.金か友情か
会社を成長させるためには資金が必要です。しかし、その過程をめぐって主人公の協力者と友人の間で対立が生じます。気心が知れているのは友人ですが、会社の成長を考えたときに、「どちらの考えが優れているか」そして、「何を見て行動しているか」によって、主人公は判断します。

感想の分かれ目について気づいた所を3点挙げました。

これらを踏まえて主人公に嫌悪感を抱くと考えられる人はどういう人なのかを考えてみたいと思います。
1.Facebookが生まれたきっかけ:女性と学歴にコンプレックスを抱いている方。主人公が悪気なく行ってしまう部分も非難の的になるかもしれません。

2.アイデアを形にする:これは研究開発に関わる方には納得がいくかもしれませんが、いくらアイデアが頭の中にあっても、競合に先を越されて形に出されると言い訳は出来ません。今回のケースは競合との争いとは異なるケースかもしれませんが、「弱肉強食の世界」と聞いて?が浮かんでしまう方にとっては、ずるいのではないかと言う不満の声が聞こえてきそうです。

3.金か友情か:単純に友情と金を天秤にかけているわけではありませんが、友情は全てにおいて優先されると考える人にとっては、不満に思うかもしれません。ただ、主人公自身も苦渋の判断だったのではないかと思います。

と、少し過激なことも書きましたが、このようなことを書くと、主人公に嫌悪感を抱く方もいるかもしれません。ただ、私が映画を見た限りでは、監督David Fincherは主人公Mark Zuckerbergを感情のある人間として扱っているように見えました。それは、映画の始まりや終わりだけではなく、何箇所にもちりばめられています。3.金か友情かについても、主人公の心情を表すシーンが出てきます。


映画の予告編を見ると主人公の雰囲気がなんとなく見えてくるかと思います。早口でまくし立てる主人公。不器用な部分も見えてきます。

友人、彼女、協力者とのやり取り。彼らがいなければ彼は決してここまで登りつめることが出来なかった。ことが明らかになります。人との出会いが主人公そしてfacebook自身のターニングポイントになっています。

人により評価が分かれることもあるかもしれませんが、ヒューマンドラマとして楽しめる映画だと思います。

菊地敦己 連続対談シリーズ「つくるということ」第1回 ゲスト 青木淳(建築家)

青山ブックセンター(ABC)で開かれたアートディレクターの菊地敦己さんと建築家の青木淳さんの対談を聞いてきました。

菊地さんが気になっている方々と月に一度対談をする形式になっています。
今後の予定については、青山ブックセンターのHPをご覧ください。
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201010/_1_109.html

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I.連続対談を立ち上げた理由

ABCの会場の座席には、菊地さんが何故このような連続対談を立ち上げたのかが1枚の紙にびっしりと書かれていました。

全文は菊地さんのHPにも書かれています。興味のある方は読んでみてください。


II.青木さんの作品批評

青木さんがこれまでてがけてきた住宅を菊地さんがどのように感じたのかを話し、それについて青木さんが設計の意図を語りました。

説明は青木淳さんのHPを見ながら進められました。そのときのやり取りを簡単につづっていきます。

Oについて

菊地:一つの住宅には思えない。意図が見えない、奇妙な感覚

青木:見て分かるものではなく、構成で何が出来るかを考えてつくった。人工的なものを自然に、逆に自然なものを人工的に見せる工夫をした。
妹島(和世)さんにも見てもらったけれど「全く分からない」といわれて少しショックだった。
課題に対してきれいに解けるというのはただの仕事。その先に何かあるのではないか。それは、担当者によって変わって来る。
ルールの中に縛られるのではなく、どこまで遊べるか。


Cについて

菊地:Oに比べると、とても分かりやすい。けれど、Oの面白さを知ってしまうと少しつまらなく見える。でも、どちらかと言うとCのほうが好き。SANAAは理解しやすい。青木さんは分けが分からないものを探しながらつくっている気がする。

Lについて

青木:土地に元々あったコンクリートの塊からアイデアを得てできた家。無造作に建っているように。全体的にはアンコウのような形をしている。上から垂れてくる出っ張りは、青森県立美術館に通じるものがあるかもしれない。

菊地:白が薄っぺらくみえる。壁紙のような印象のものも有る。

青木:白だけで表情をつくろうと試みた。

青森県立美術館について

菊地:この建築に対する批評が全体的に少ないのは何故か(良い評価も悪い評価も少ない)

青木:ここでは、場をどのように使うかということに対して新たな例を提示した。例えば、美術館の入口や館長室、構造の見せ方など(三層で構成していることを言いたかった)批評が少ないのは、トレンチと白いボリュームのかみ合わせだと思って見に行ったら、実際にはそうではなかった(と見た人が感じた)からかもしれない。

菊地:批評するための軸を読み取れなかったのかもしれない。分からないものをなかったものとしてスルーしてしまうのは残念だ。

青木:この建物では、時間が経っていく中で育っていくことをイメージしている。色々と使われていく中で朽ちていく(ここでは腐ってボロボロになるという意味ではなく、気候にさらされる中で深みが増すようなイメージを意味する)

菊地:課題に対しての答えが一つではなく、別の答えがあってもいい。今は一つの答えを求めすぎる傾向にある。分かりやすいものを追い求めていく事が全てではない。

青木:課題の解決のアプローチの仕方が菊地さんと違うのが興味深い。私は進むごとにルールを作り変えるが、菊地さんはルールは出来るだけ守るようにする。出来るだけ大元に戻ろうとする。すると、最後に突破口が見える。

青木:青森は蛍光灯が取り替えられずに薄暗くなっていて、パチンと消える。というイメージがある

菊地:そうですね。パチンと消えるイメージ。なので、サインをネオンにしました。

・来年の春に青森県立美術館で行われる青木淳×杉戸洋展について

青木:青森県立美術館では場の新たな使い方を提示しているけれども、まだあまり上手く使われているようには思えない。来年5周年を迎えるにあたり、個展を開かないかと要請があった。しかし、自分の立場上、自分が個展をするというのも変な話なので、まだ上手く使われていない空間を上手く読み込んでいる杉戸洋さんと組むことになった。

菊地:杉戸さんとはどのように出会ったのか。

青木:以前自分が設計した建物に、たまたま杉戸さんが見に来て、空間について細かい意見を聞いた。(ここは10cm狭くしたほうがいいなど)杉戸さんはアトリエを自分で設計しており、作品とその空間の関係性について、深く考えている人。まだ上手く使われていない青森県立美術館にも、杉戸さんであれば新たな展示の方法を探ってくれるのではと期待している。

・レム=コールハースについて

菊地:以前AMOとやりとりすることがあって、コールハースについて調べたのだが、彼の作風にはイデオロギーがないように感じる。彼は資本主義にどういう立場をとっているのか

青木:あくまで私の捕らえ方ではあるが、資本主義をつきつめたら、「これほどやばいんだよ」という作品をつくっているように見える。やばいにも2種類あって、単純に危険なものと、魅力に感じることもある。それを建物にしてあらわしているのではないか。

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いくつかの話題は省きましたが、このような内容でした。

青木さんと菊地さんの共通認識として出てきたことが、「課題に対する回答に一つのものを求めすぎている傾向にある」と言う点。色々な情報があふれているなかで、物事に対する考え方はもっと別の考え方があってもいい。青木さんの静かなたたずまいの中にも均質化していく価値観への「反抗」の思いが垣間見れた時間でした。

また、菊地さんは青森県立美術館の時に始めて建築家(青木淳さん)と話をしたようです。菊地さんは仕事をするときには、事前準備はほとんどせずに、その場でインスパイアされたものから作り上げていくようですが、今回の話を聞いていても、写真一つとってみても、深い観察眼をもっている方だなという印象を受けました。

原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か

原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か

「自分ごと」だと人は動く

博報堂DYグループ エンゲージメント研究会が書いた「自分ごと」だと人は動くについて紹介します。

「自分ごと」だと人は動く

「自分ごと」だと人は動く

エンゲージメントって何?と疑問に思う方もいるかもしれませんが、それは後ほど。この本はこれからの広告を始めとするコミュニケーションについて、今までと比べてどのように変わってきたのか。そして、これからはどうなっていくのか、について書かれています。

I.メディア環境について
○20世紀
ラジオ、テレビといった一度に大量の情報を多くの人たちへ伝える機能を持ったマスメディアが登場した。このときの情報の流れは、マスメディアから生活者となっており、生活者は一方的に情報を受け取るだけの存在だった。

○現在
21世紀になって大きく3つの変化が生まれた。
「過剰な情報量」・・・個人が処理できないほどの情報があふれるようになった。
「情報の発信源」・・・これまで一方的に受け取っていた情報を個人がブログやSNSなどを使って発信するようになった。
「情報のユビキタス化」・・・技術の発達で、携帯電話やパソコンを使えばどこでも情報が得られるようになった。
特に上記の2つはインターネットの利用が当たり前のように使えるようになったことが大きい。

II.タグ化する個人

タグとはtagのこと。「ラベル」や「ラベル」という訳がついている。ここではタグは個人の趣向をキーワードであらわしたものと考える。
○○系という言葉があるけれど、そのように大まかに区切るのではなく、タグを使うと新たな部分が見えてくる。例えば、格闘家の長島☆自演乙☆雄一郎さんであれば、[格闘技][K-1][コスプレ][東方]などのタグが見えてくる。そうすると、興味や関心がある事柄で、人とつながることが出来る。その結果、これまで大衆の中でくくっていればよかったものが、どんどん細かくなり、今では網衆(もうしゅう:網の目のように細分化されてつながっている)という概念も出てきているようだ。

III.スルーされるとスルーされない情報
その結果、自分では処理できない大部分の情報は、「スルーされる」ことが多くなった。スルーとは、文字通り、情報が目や耳に入ってきても、頭の中に残ってはいないということ。だから、例え左耳から情報が入ってきても、右耳から抜けていく。それを無意識のうちに行っている。

その一方、スルーされないで、受け取った側が「いい」と思った情報は、ブログやSNSTwitterを通じて発信されていく。スルーされる情報とされないものの違いは何か。

それが「自分ごと」の情報。「他人事」は「自分に関係のないこと」だから、「自分ごと」は「自分に関係のあること」になる。それは感動したり、好意を持ったりといった心を動かされた情報。そうすると、人はその情報を誰かに伝えたくなり、情報のシェアが起こる。そうすると、それを見た別の人が・・・と情報が広がっていく。

IV.「自分ごと」の情報をつくるには
本書では「突っ込みどころ」をつくることが「自分ごと」のきっかけになるといいます。例えばソフトバンクの犬のお父さん。父親が何故犬なのか?という突っ込みどころを押さえています。しかし、それはあくまで導入部分。シェアが起こるには共感してもらうことが必要になります。そのために、先ずブランドと生活者の結び目となる「エンゲージメント・テーマ」を探します。エンゲージメント(engagement)の意味には「(歯車が)噛み合うという意味があり、生活者とブランドがTo(ブランドが生活者に一方的に情報を与える)ではなくWith(お互いが協力して作り上げる)という意味がこめられているようです。

その後は「エンゲージメントテーマの体験」→「見た人に自分ごとの意識が芽生える」→「情報が共有される」

テーマの体験では、食品の場合は飲んだり食べたりして感じてもらう例が挙がっていましたが、CMやWebでも可能。(もちろん、それぞれ得て不得手はあるので、どのような形で体験してもらうのかは考える必要がある)

ケーススタディとして「自分ごと」としてうまく機能した4つの取り組みを紹介しています。

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関心や興味というと、ベン図で共通項をくくりだすのが分かりやすいという人がいるかもしれません。算数の問題でもありますね。(例えばクラス○人のうち、理科が得意な人が×人、社会が得意な人が△人。どちらも苦手な人が□人。ではどちらも得意な人は何人でしょうのような問題)

ただ、ここまで個人の趣向が細分化されていくと、ベン図ではとても複雑で、あらわしにくい。
タグという概念であれば、分かりやすい。可視化して考えるのであれば、マークシートとキーワードが記載された紙があって、そのキーワードに該当する項目にマークを塗りつぶして集計すると、タグでどのようなつながりがあるのかが見えてくる。まさに網の目のような構造になっているのでしょう。

しかし、その一方でタグ化されていくと、個人個人の結びつきが希薄なものになっていくのではないかという考えもあるかもしれない。私自身Twitterでフォローしている方はいくつかのタグに分かれている。けれど、そのタグはTwitterを始めたときに比べて変わってきている。元々一つのタグでしか結びついていなかったけれど、TLに流れてくるつぶやきに興味を持って、そこから新たなタグができたこともある。また、気になるつぶやきをしている人には会って話をしたくなる。何人かの方とは直接会って話をしましたが、その中でまた新たなタグを発見できることもあります。
だから、タグ化することで人間関係が希薄になるのではなくて、むしろ、タグがたくさんあったほうが、その分つながりができるきっかけになっているのだと思う。

紹介されていた「自分ごと」のケーススタディではどちらかというと、ハッピーな方向に向けられていたかと思いますが、今話題になっている取り組みで「自分ごと」といえば、塩野義(シオノギ)製薬のコレステロールバランスの啓蒙キャンペーンでしょう。


このキャンペーンの「エンゲージメント・テーマ」は「動脈硬化は自分で気づけない。だから悪玉と善玉のコレステロールのバランスを把握しておきましょう」というもの。CMの最後に流れているテロップです。

このCMがスルーされない仕組みは音楽の力が大きいかと思います。音楽自体は繰り返しなのに、かき乱される気持ちにさせられます。自分の場合、音楽を聴いただけで鼓動が早くなっているのが分かりました。これはあまりない体験です。
つっこみどころは「動脈が詰まっていく様子が、背中に貼っていて、他人から見えること」です。言うまでもなく、他人の心臓がどうなっているかは分かりません。が、このCMでは動脈硬化をわかり易く説明する道具としてあのような絵を使ったのだと思います。
これをCMで体験します。見た人の中には、自分もいつか突然倒れるのかもしれない。と不安を掻き立てられた方もいるかもしれません。
その結果、Twitterやブログ、SNSなどでこの話題をシェア→伝播していくという形になっています。

ただ、言うまでもありませんが、「自分ごと」の問題と捉えるのは「不安を駆り立てる」ものだけではありません。ToからWithへ網衆になった私たちにとって「エンゲージメントテーマ」はより深く考えられていくべき問題だと考えます。

これも自分と認めざるを得ない展

21_21 design sightで開催中の佐藤雅彦ディレクションの「"これも自分と認めざるを得ない"展」に行ってきました。

実は、以前一度訪れてはいたのですが、体験できなかった作品がいくつかあったので、今回二度目の訪問になりました。
一度目に訪れたときは、ちょうど佐藤雅彦さんのトークショーが開催され、私も運よく参加することが出来ました。トークショーの内容も踏まえて書いていきます。

展示内容にも触れているので、ご了承ください。

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この展覧会を開くにあたって、三宅一生さんから「展覧会を見て、きれいだった、面白かった、というようなスッキリと家に帰ってもらうのではなく、何かもやもやしたものを持ち帰ってもらえるものにしてほしい」という依頼がありました。

この依頼を受けて、佐藤さんは一つのアイデアを出しました。それが、この展覧会で始めに展示されている「指紋の池」です。これは、自分の指紋が生き物のように動き出したら愛おしさを感じるのではないか。というテーマを基にしたアイデアでした。

このアイデアから「属性」というテーマが生まれ、作家へのオリエンテーションにも「指紋の池」を踏まえてつくってほしいという依頼をしました。

展示を作り上げていく中で佐藤さんが一つキーワードとして出した言葉が

「人は意外と自分のことに無頓着である。」

ということです。それは、すでに「当たり前」のものとしてみているからなのでしょうか。それとも、ただ意識していないからなのでしょうか。

今回の展示を体験すると、自分が生まれながらに持っている属性について考えるきっかけになると思います。

以下、展示を体験したときの自分の感想をいくつかピックアップして書きます。

  • 「指紋の池」では、登録した自分の指紋がディスプレイに映って泳ぎだす。始めは分かるものの、時間が経つとどこに行ったかわからない。ディスプレイには既に大量の指紋が魚の群れのように動いており、どの指紋が自分のものなのか分からない。だけど、もう一度自分の指紋を登録させると、勢い良く始めに指紋がディスプレイに映った場所まで戻ってくる。指紋はいつの間にか出来た枠の中にとどまり、静かに消えていく。いつの間にか自分の指紋に感情移入している自分がいることに気づく。そして、その瞬間だけ、指紋を子供としてみている自分を強く意識する(元々、その指紋は自分のものなのに)。親から見た子供の視線てこういうことなのだろうか、と考えをめぐらす。
  • 「属性のゲート」では自分の顔がカメラの認証システムによって判断され、該当するゲートが開く。自分の意思とは無関係にゲートが開いて、そこを進んでいく。自分の属性については、自分がよく分かっているつもり。自分が持っている属性と同じ側のゲートが開いたときよりも、自分が予想していない側のゲートが開いたときに生まれる違和感。あくまで、認証システムからはこのように見られているのだ。と自分を納得させるが、もやもやはなかなか無くならない。
  • 「属性の積算」では、始めに登録した自分の身長と体重の属性(値は表示されません)を使った展示ですが、自分と同じような属性を持った人がいると、「あるいは」という表示が出てくる。そこに自分の名前が出てこないと「不安」になる。始めに身長を計測して(値は表示されません)たくさんの「あるいは」が出てくるけれど、体重計に乗ってみると、「あるいは」の数が減ってくる。私の場合は、2つの測定で、自分と判断されて「安心」したことに気づく。
  • 「金魚が先か、自分が先か」この展示では自分の視線の動きと感情の変化を思い出して書いてみる。

  1.あ、水槽の中に金魚が泳いでいる。
  2.振り返ると、水槽はあるけれど、金魚がいない。
  3.目の前には水槽が映っているから。。鏡?でも金魚がいない。
  4.鏡だとすれば、自分も映っているはず。だけど映っていない(あせる)
  5.3.と4.の思考を行ったりきたりして、ようやく、これは鏡ではない。ということに気づく。
  自分があたかも金魚になったような錯覚に陥ることも無きにしも非ず。

  • 「新しい過去」では、自分が好きなものを登録すると、それを好きになった経緯を教えてくれる。これはあくまで自動生成プログラムなので、自分が好きになったきっかけとは違うのだけれど、「そうかな」と思う瞬間があれば、自分の記憶が書き換えられることになる。警察の調書を髣髴とさせるので少し怖いなと思う所もあった。例えば取り調べで調書を作成しているときに、自分がよく覚えていないあやふやな記憶に「そうだったかもしれない」と思わせることで、実際には行っていないこともしてしまう。新しい過去を作り上げてしまう。

いくつかの体験を通じて改めて意識することだけれども、自分が自分であることを認識するのは「他者」の存在があってこそ。佐藤さん曰く、鏡の存在を認識出来るのは人間とチンパンジーしかいないのだという。そのほかの動物は、「自分」しかいない。だから、周りと比較することはない。
最近の風潮として、人をどちらかに区別したがる傾向にあると思う。例えば「勝ち組と負け組」や「リア充と非リア充」など・・・とてもくだらないことだと思う。ただ、その一方、定義されてしまえば、「安心」するのだろうなとも思える。たぶんそれは自分が属性の積算で感じた「安心」と近いのかもしれない。

佐藤さんがトークショーの最後に、「人は属性に無頓着にもかかわらず、社会が人の属性に圧力をかけている。しかし、自己実現や存在意義という言葉にとらわれずに自由に、生き生きとすごしてほしい」と話していた。

確かに、最近まで常識として通用していることはあった。けれど、もうそろそろ通用しなくなるんじゃないかと思っている。例えば、結婚したら夫が昼間仕事をして金を稼いで、妻が家庭を守るという構造も、夫の給料だけでは生活できなくなって共働きをするという構造に変わっていくだろうし、新卒至上主義の採用も、数年のうちには変わらざるを得ないだろう。

今がちょうど時代の変わり目辺りだとすれば、佐藤さんが言っていた属性にとらわれない人生もそんなに遠くない時期に来るのではないかと、考えている。私たちは「タグ化する社会」に生きているのだから。

「タグ化する社会」についてはまた後日書く予定です。

”これも自分と認めざるをえない” 展 の見方佐藤雅彦さん自身による展覧会の見方)

いったいどれが自分? 「“これも自分と認めざるをえない”展」 Exite ismによる展覧会の紹介

20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ

この本は@HAL_Jさんが書き下ろした英語の学習法についての本です。
HALさんは以前New Yorkにインターンシップ留学しており、その時に体験した留学や英語の勉強法について書かれています。


内容としては大まかに分けて2つ。
TOEICでLEVEL A(860点)を取るための効果的な勉強法
・LEVEL Aのその先にあるもの

前者については、レベル分け600点未満とそれ以上の人に分けて学習法を記載しています。
また、英語の基礎から勉強したい人や、TOEICに絞って勉強をしたい人に向けて、どのような本を読めばいいのか紹介されているので、これから本格的に英語を学びたいと考えている方には有用な情報が載っていると思います。詳細については、本をご覧ください。

後者については、本の最初にも書いてありますが、TOEIC900もある種の通過点であるということです。いくらTOEICの点数がよくても、speakingが出来ない人や英語で専門的な業務を行うためには、まだまだ勉強が必要になります。詳しくはP252のHALさんインターンシップ中に体験した「狐と針鼠の関係」というコラムをご覧ください。

私がこの本で特に重要だと感じた部分を2点引用します。
目的意識の明確化(P45)
英語を使って何をしたいのか、何が出来るのかという問いに明確に答える準備をする
TOEICで高得点を取りたい」、だったり「英語を流暢に話したい」ということを目標にするのではなく、その先に何をしたいのかという目的意識を先ずはっきり決めておくことが大事だと思います。

勉強時間について(P228)
英語を身につけるための勉強時間は1500時間が目安(個人の差はあるかと思いますが)これは、一日3時間の勉強をしても約1年半かかります。特に働いている方で一から英語を勉強し始める方の場合だと、一日に費やせる時間は少なくなるでしょうし、それゆえ、中途半端なことではあきらめない先にあげた英語を学ぶ目的意識が大切だと思います。

上記の2つは特に英語に限らず言えることだと思います。
もちろん、途中で英語の勉強を諦めたくなることもあるかと思いますが、Twitterには同じように英語の勉強をしている方が大勢います。勉強用のハッシュタグやリストについても掲載されています。


私は以前HALさんが主催した英語のオフ会に参加させてもらいました。その時に時間を決めて全て英語で話し合うコーナーがあり、自分が言いたい事を英語で伝えられないもどかしさを身を持って体験しました。それから、しばらく勉強していなかった英語を再度勉強していこうという気にさせてくれました。
私の英語の勉強はまだ始まったばかりですが、この本を読んで改めて身の引き締まる思いで英語の勉強を続けようという思いにさせてくれました。

本の中で、国籍を問わず、英語の話せる優秀な人材を獲得し始めた企業や、数年以内に社内での公用語が英語とする企業の話が出てきます。

優れたデザインはいつの間にか私たちの日常に溶け込んで当たり前になっているのと同じように、日本における英語も「いつのまにか」使えるのが当たり前になっている日がそう遠くない日に来るのかもしれません。

HALさんの本はBlogから書籍化になっているので、内容も確認することが出来ます。
気になる方はHPをご覧ください。
The Wisdom of Crowds – JP

20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ

20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ

はたらくってなんだってなんだ

最近、「はたらくってなんだ」 という記事を読んで、自分は働くことをどう考えていたのかを振り返ってみる。

小学生の頃の卒業文集に書いた将来の夢は科学者だった。
その頃は発明家エジソンのようになりたいと漠然と思っていた。多分何か新しいものを発明したいのだと思っていたのだろう。
好きな科目は理科と図工だった。
周りを見てみると、男子はサラリーマンが多かった。それを見た自分は、小学生ながらも「それってなんだか寂しすぎる」という感想を抱いていた。女子は「ケーキ屋さん」や「お嫁さん」という答えが多かった。「お嫁さん」という回答を見たときもどこか違和感を感じていた。

だけど、その時は仕事を選ぶ選択肢が少なかったんだろうと思う。小学生の頃の行動範囲は自転車でいける範囲内で、電車に乗って都心に出ることなどはほとんどなかった。

中学、高校と進んで(中高一貫だった)大学を選ぶ時に、2つの選択肢で揺れていた。好きな科目は化学、倫理、美術。一つは理系の大学。そして、もう一つは芸術系の大学。化学実験が好きだったので、化学の勉強が出来る大学。もしくは美術の大学。その頃は全く方向性の違う2つのうち、どちらかを選ばないといけないと思っていた。(今だったら2つを複合して勉強できる学科を探していただろう)しかし、芸術系の大学に行ってどのような仕事につくのかが想像できなかった。まだ、理系の大学に進んでどこかの企業の研究者になるという事の想像がつきやすかった。だから、想像ができやすいほうを選んだのだった。

そして、大学生になり、就職活動を始めたときに、はじめて漠然としか考えていなかったことをリアルに考えていかないといけないことに気がついた。

私が大学時代に行った就職活動も、今とそれほど対して差がない。大学3年もしくは修士1年の秋から新卒応募サイトに登録して、エントリーをする。

いわば、当たり前のレールだけれど、そのレールに乗った理由で一番大きかったのは
出来るだけ早く内定をもらって、自分の研究に戻りたいということだった。
私がいた研究室は一人で一つのテーマを扱うので、自分が動かなければ何も成果が出ない。それ故、出来るだけ研究の時間以外を少なくしたかったのだ。

就活の流れにはもちろん違和感は感じていた。大手就職サイトに登録すると、やはりどうしてもCMでがよく流れている企業に目が行ってしまう。エントリーシートを何枚も提出していくと、自分がそこの企業に本当に入りたいのか分からなくなってくる。どこか、企業のほしい人材に自分を合わせていないか。しかし、内定が出ないと仕事が出来ない。

私の場合は、レールに乗って運よく自分が希望する職種につけた(ただ、あることがきっかけで転職してしまったけれど)。それで良かったかというと、今思えば半々である。就活サイトに登録してしまえば、後はそこから選ぶだけ。だから楽といえば楽である。だけど、就活サイトに登録されていない企業にもっと自分がフィットする企業があったのではという気持ちも有る。
結局は自分がやりたい仕事をどこまで明確に抱いているかだと思う。自分がやりたい仕事が、どこを探しても見つからないのなら、自分でつくれば良い。だけど、一からつくるよりは、どこかの企業で体系を学んでからでもいいかもしれない。

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補足
会社に入って分かったことは、会社の外から見える景色と、中から見える景色は違うということ。もちろんそれは当たり前のことだけれど、どうしても自分が譲れないものがあって、それが外と中で違っていたら、直ぐに辞めたほうが良い。自分のためにも。会社のためにも。

人の興味は変わっていく(変わっていくことが多いと思いますが)が、自分が譲れないものというものはあまり変わらないと思っている。そのコアを中心に仕事を選ぶのも一つの方法だと思います。

仕事は、必ずしも自分がやりたいということが出来ないこともある。そんなときは、会社の外で仲間を集めてやったほうがいいと思う。会社に入ると、どうしても会社の中の人とのコミュニケーションが多くなり、自分の会社でやっていることが一般的になってくる。他の会社ならどう動くかということも見ておけば、その分選択肢も広がる。

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やりたい事を探して自己分析なんてしてたら孫さんは成功してなかったはず。

息子・太郎の彼自身による就職活動記 ― 親に似てちょっと長いのですが…

岸勇希×河尻亨一@art Chiyoda 2/2

前回はカンヌレポートまで書きました。

ここでは、Bの岸さんの現在の仕事について書いていきます。

○カレーの話
Q「とびきりうまいカレーを作るとしたらどうするか」
A.「世界中から最高の食材を手に入れて、最高のシェフが調理し、何度も試食を繰り返して、最も評価のよかったものを出せばいい」

答えのひとつかもしれないけれど、これは今まで誰もがやってきたことだった。
ただ、それが一番うまいカレーなのか。例えば、1年間カレーを食べたいのを我慢した後に食べたカレーは例えレトルトでも、とてもうまいと感じるのではないか。

カレーの話はひとつの例えで、「うまいカレー」をつくってほしいという依頼(クライアントからの要望)に対して、素材で勝負するか、それともシチュエーションで勝負するか。

岸さんがしている仕事は、それらを纏めてトータル的にプロデュースするのが岸さんの「コミュニケーションデザイン」という仕事


○ラーメンの話(河尻さん)
ラーメンに対する志向
今60−70代の人は山盛りのラーメンが食べられればいい。
30代あたりの人は色々なラーメンが食べられればいい。
では、今の10代、20代はどう考えているか。
「おいしいのは当たり前。加えて、いつ、誰と、どういうシチュエーションで食べられるかが大事」(川尻さんが作家の白岩玄さん(野ブタ。をプロデュースの作者)にインタビューにて)


○仕事観について
大前提:クライアントの期待に答える(だから、自分にはつくりたいものはない)
コミュニケーションデザインschemeはない。生きていくことにどれだけhospitalityをもっているかが大事。
そのうえで、一人でもhappyになってくれる人がいればいい。
happyになってもらうためには、「普通」になる。「普通」になるには情報感度を高める必要がある。小悪魔agehaを馬鹿にしてはいけない。

ピカチュウとNARUTOを舐めてはいけない。onepieceとモンハンを軽んじてはいけない。sweetとbleachから目を離してはならない。子悪魔ahehaと怪盗ロワイヤルを馬鹿にしてはならない。ラブプラスと西野カナを拒絶してはいけない。

仕事で評価された時の数日間は楽しい。けれど後はいつも苦しい。だけど、その楽しさを味わいたくて仕事をしている。
岸さんは今の若い女性を知るために16の女性誌を年間購読して、彼女たちが普段接している情報と同じものに触れている。
その結果生まれたのがJUJUの「素直になれたら」ペアムービー

○「素直になれたら」ペアムービーの制作裏話

・始めに携帯をつかって動画を流すという出発点が提示される。
・しかし、普通に携帯で動画を見せても何も面白くない。
・だったら、携帯で見たくなる動画をつくればいい。
・携帯というメディアの特性を掘り下げ、携帯だからみたくなるような設計をする。
・その後、クリエイティブを考える。
・携帯をテーマにした歌詞。「携帯は一日の最後の明かり」(電気を消して布団に入ってからも最後に携帯の画面を見る)
・女性が恋人にメールを書くとき、どのような感情になるのかを考える。(例:2回続けて自分からメールをしたら、変じゃないだろうか。など)

○今の仕事の行方
・今はコンテンツ作りをしているので、ライバルは秋山康氏、小山薫堂氏になる。
・ドラマを作っていると、映像の技術は負けてはいないが、音入れの技術はCM制作よりも進んでいるので学ぶ部分が多い。
・これからはhappyの優先順位を上げたものにも取り組んでみたい。

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以下感想

河尻さんとのやり取りでは、時に頭の回転が早すぎてついていけなくなることも何度かありましたが、とても充実した3時間でした。
JUJUのペアムービーの制作話の組み立て方がとても分かりやすかった。はじめに使用するメディアの特性を考え、それを使う人の気持ちを考え、クリエイティブに結びつける。岸さんの話し方は高松聡さん(@satoshiTAKA)に近いものを感じた。問題をあぶりだして、一つづつ解決の策を積み上げていく。一つづつ掘り下げていくことはとても辛い作業なのだろうけれど、成功した時の何物にも変えがたい充実感のために仕事をしている岸さん。仕事ではクライアントの期待に答えることを大前提にしていますが、今回のトークショーでも会場の人が楽しんでいるかを心配されている場面がありました。「もしこの内容で少しでも不満に思っている人がいたら、全体の満足度を下げないで、活その人のために満足する話をしたい」とおっしゃっていた岸さんは、根っからの仕事人なのだなという印象を受けました。
広告は内輪で評価されるためにあるものではなく、社会に評価されてこそ意味がある。と強い言葉で語ってくださった岸さん。これからどのような仕事をされていくのかとても楽しみです。