世界報道写真展@東京都写真美術館

恵比寿の東京写真美術館で開催中の世界報道写真展2011に行ってきた。

この展覧会は毎年世界の報道写真から優れたものをピックアップして展示している。
報道写真なので、世界で起きているニュースに関係している。
(ただ、毎年訪れる度に、こんなことが世界で起きていたのか、と驚かされる。そして、自分が普段目にしたり、耳に入ってくるニュースとなんてほんの一部なんだ。と気づかされる)

写真を見るだけでは、何が起きているのか分からないので、写真の近くにある説明文を読む。
報道写真なので、自然がだったり動物を撮ったものもあるけれど、ほとんどが人を撮ったものだ。

報道写真展には毎年訪れているけれど(とはいっても、まだ3回目位だけど)、今年の展示(実際に撮られたのは昨年)は世界的に地震等の災害があったためかそれに関係する写真が多いかと思われたか、そんなことはなかった。

生きたいという強い思いがこめられた写真があった。
草原で人が死んでいる(暗殺された)写真があった。
売名行為ととられる事を覚悟で病気の赤ん坊を助けようとした人の写真があった。
路上で撃ちあいをして、両者とも死ぬ姿を追った写真があった。
そして、鼻と耳をそがれても真っ直ぐな目でこちらを見つめる写真があった。

展示された作品には、人の脆さも力強さも悲しみも楽しみも映し出されていた。
自分が生き残るために災害で亡くなった人を人ではなくモノとして扱っているように見えた写真はショックだった。
けれど、もし自分が生きるか死ぬかの状態になっても同じような事をしないだろうか、と、ふと頭の中をよぎった。

自分の年齢が分からないために、何年も牢屋の中で過ごさなくてはならない人達の写真を見て、自分が自分であることの証明は戸籍以外にどうやってすればいいのだろうか。と考えた。自分が自分である事を忘れないために、誰かに自分の事を覚えてもらうのだろうな。

今年の1st Prizeの写真はTimeの表紙になっていたので、はじめて見た時の衝撃程ではなかったけれど、良い写真だった。自分が受けた傷を隠すことなくカメラの前にさらけ出すことは被写体の女性にとっても、写真を撮る側にとっても勇気のいる行動だったと思う。そしてその写真をTIMEの表紙に使うことも。

ここに書いていなかった写真にもそれぞれの背景があり、それらは意識しなければ普段目にしないものばかり。
なので、写真を見て何かを感じることもあるけれど、世界で何が起こっているのかを知るための良い機会になると思います。

8/7まで。各地に巡回するようです。
http://www.asahi.com/event/wpph/

コクリコ雑感

ネタばれがあるので、まだ見ていない方はお気をつけください。

コクリコ坂から」を公開初日に見てきた。

感想はというと、良いか悪いかでいうと、良かったのですが、「これいいよ」と人に薦められるほどその良さがわからない。という自分の中でどう判断してよいか分からない映画でした。ただ、見終わった後の心地よさから、「良い映画だった」と後から自分の気持ちに気づかされている感じ。

TwitterのTLをみていると良かった、という人が多く目にしますが、Yahoo映画の感想を見ると賛否両論になっています。
何で、こんなに意見が分かれたのかを考えてみると、「特別なことが無い」映画だからだと思います。

少し脱線しますが、映画を見る前に映画の評判を調べてから見に行く事は個人的に好きではありません。評判を見てから映画を見てしまうと、その評判と比べて自分の感想がどうだったか。という話になってしまいます。それは順番として逆のような気がします。つまり、感動するために映画を見るのではなく、映画を見て感動した。映画だけではありませんが、良いか悪いかを決めるのは人それぞれあるだろうし、印象に残る部分も人それぞれです。なので、自分が映画を見に行く時にはなるべくあらかじめ予習をすることはありません。

話を戻すと、「コクリコ坂から」のあらすじを強引に言ってしまうと

「好きな人が出来た。兄妹だったと死って落ち込んだけど、ホントは違った。よかったね。」
映画には悪者は出てこないし、空を飛んだりできない普通の人。主人公はいわゆる優等生タイプ。話は淡々と進むし、主人公達はあまり感情をあらわにしない。(というよりも、好きな相手に対する感情をあえて描かないように見えた)

自分が印象に残っている場面は、「海が俊に告白をする所」、と 「海が母親から事実を伝えられた時に泣き出した所」だった。

告白をしたシーンでは、まだ2人が兄妹の関係だと信じていた分、その分告白する海には勇気のいる行動だっただろうし、それを俊も手を握って受け止めた。手を握っていた時間は僅かだったけれど、その場面はとてもきれいだった。

母親から事実をきかされて泣き出した海の姿を見て思い出したのが、となりのトトロの中でサツキが母親が死ぬと思い、泣き出したシーンだった。
海の涙には色々な感情が混じっていると思うけれど(そして、それは描かれない)、あのシーンで海に対する印象がいわゆる優等生タイプから普通の女の子になったのだと思う。

何気ない日常を描く時に一人にフォーカスを当てるとカメラを向けて、その気持ちまで描いてしまうと、作り手の見え透いた意識が見えてしまっていやになる時がある。けれど、あえて、少し離れた所から淡々と撮る。カメラの意識をなくす。見る人に感じる余白を残す。作り手から与えられるというわけではなく、見る人が見つける。そして、じわじわと心地の良い感じが残っていた。


宮崎駿氏の覚書
企画のための覚書 「コクリコ坂から」について

雑記@NY

先月1週間ほどNYに行って来ました。

海外はこれで5カ国目(ちなみに、これまで訪れたのはフランス・ベルギー・オランダ・中国の4カ国)なので、カルチャーショックというのはそれほどないのですが、いくつか気づいたことを雑記して羅列していこうと思います。
ちなみに、海外旅行の目的は美術鑑賞です。(花より団子、ではなく団子より花を優先します。)

訪れた場所(訪れた順)
・Museum
MoMA
World Trade Center
Empire state building
Apple Store 5th ave
Frick Collection
Guggenheim Museum
The Cloisters
American Museum of Natural History

・Broadway
Spider-man turn off the dark

感想
JFKの審査は時間がかかる。
今回はAmerican Airlinesを利用して羽田からJFKまで直行便でした。羽田発は初めてでしたが、成田よりも圧倒的に近いのでとても快適でした。ただ、入国審査では、指紋や虹彩を登録する必要があるため、時間がかかりました。30分ほど。
ちなみに、出国にはそれほど時間はかかりませんでした。

月曜は美術館の休館日が多いので、出かけるときには早めに。
月曜日は多くの美術館が閉館していて、開いている有名どころには多くの行列が。行列が苦手なわたしはそそくさと引き上げてきました。

・現在地が分かりやすい。
NYは大体碁盤の目状に道路が張り巡らされていて、Street一つ一つに名前がついているので、地図を持っていれば自分がどこにいるかが直ぐに分かるのですが、Empire State BuildingではオーディオガイドをレンタルしてNYの地理を把握するのもありだと思います。(日本語版あり。地区ごとに丁寧な説明がされます。)

SOHOはhigh societyではなく、観光地化されていた。
SOHOと聞くと、ハイソ(High Society)なイメージがあったのですが、そんなことはなく観光地化されていました。
ちなみに、SOHOにあるMoMA Design Storeの地下には無印良品がおいてありました。広さSOHOのほうが広いですが、
品揃えは表参道とそれほど変わらない気がします。(本の品揃えはSOHOのほうが多い)

早歩き
どこで読んだかは忘れましたが、New Yorkerは誰もが早歩きです。私は日本では歩くのが早い方だと思うのですが、何度も抜かされました。
後ろから誰かが来る気配がして、”もしやスリか?”と振り返ると直ぐ後ろに早足でこちらに向かってきてあっという間に抜かれてしまうことがよくありました。

5th AveのApple Store
5番街にあるApple Storeに行ってiPad2を買う予定だったのですが、残念ながら売り切れていました(行く前に分かってはいましたが)。ただ、展示用にはいくつか置いてあって触ることが出来ました。店内は日本とは比べ物にならないほど広かったですが、多くの人が足を運んでいました。(無料でインターネットが利用できるので、買う気がなくても訪れる人が多いのかもしれません)

99¢ shopとTrader Joe's が素晴らしい
日本の100円ショップと同じように99¢ショップがマディソンスクエアガーデンの近くにあります。品揃えは豊富で食料品から電気製品まで多数取り揃えています。とはいっても全てが99¢ではなく、1.99¢だったり、2.99¢だったりします。それでも、今(2011年4月22日時点)は1ドル80円台なので100円ショップよりも安い値段で買い物が出来ます。

Trader Joe'sはユニオンスクエアの近くにある食料品店です。品揃えが良いのでオススメです。(フォカッチャがおいしかった!)

Broadway
初NYにて初Broadwayを見に行きました。内容はSpider-man 選んだ理由は、NHKのプロフェッショナルでも紹介されたようにCostume designerとして石岡瑛子さんがこのミュージカルの衣装を担当しているからです。
正装で行くべきか悩んだ末、コートだけきちんとしたものを選んで行きましたが、周りを見るとそんなことはなく、楽に見られる服装できている人が多かったです。内容については、あらかじめ映画を見たり、席に着く前に配られるブックレットを読んでおけば大体理解できます(が、笑いのタイミングはまだ不勉強ゆえに分からないことが多かったです)
ミュージカルなので歌を披露する場面がいくつかあるのですが、良い曲はその言語に関係なく体が反応する(わたしの場合は、鳥肌が立ちます)のだなと実感しました。


・良い所と悪いところ

●良い
・Metroが安い
Metroは定額料金で、日本のように距離ごとに値段が高くなることはありません)ちなみに、中国(北京)の地下鉄も定額制です。

・標識のみやすさ
これもMetroですが、日本では出口がどこにあるのか分かりにくいのに対して、NYではEXITとはっきり示されているので、出口が分かりやすく表示されています。また、入口と出口の動線が分かれているので、ぶつかる危険性も少ないです。(フランス、中国も同様)

・声を掛け合う
NYだけではないですが、日本のように電車に乗っていて黙って体をぶつけたりすることはなく、必ず一言”Excuse me”といいます。外国から日本に帰ってきた時にいつも残念に思うことはこの一言がないことです。
他には"Good morning""Thank you" "Have a good day"など。どこかのCMで挨拶は魔法の言葉というフレーズが出てきますが、その一言を発するだけでも相手との距離が近くなる瞬間(その土地の一員となった瞬間)があります。言葉はいくら発しても減らないので、簡単なワンフレーズは覚えていくといいと思います。



●悪い
・ゴミ
外国に来ると、日本の道路のきれいさに驚きます。(ただ、直ぐに慣れてしまうのですが)

・トイレが少ない
治安のために地下鉄のトイレは使えないですし、外にも公衆トイレはないので、店舗やビルの中で
見つける必要があります。(SitOrSquatというアプリを使えばNYで使えるトイレの場所が分かるようです)

・CityPass
NYには有名な美術館が数多くあって、CityPassという綴りになったカードを買えば、比較的スムーズに入場できますが、残念ながら一度限りです。フランスのMuseumpassやオランダのMuseumkaartは一定期間使えるのですが。複数日にわたって見られないのが残念です。


旅から時間が経ってしまいましたが思いついたものを書いてみました。
また思い出したものがあれば追記します。

NYの写真はPicasaに載せてあるので、興味がある方はご覧ください。

仕事と学びの両立について

私事ではありますが、この2年間昼間は仕事をして、夜は学校に通っていました。昼間の仕事と夜の学校の勉強の内容は全く違うもので、夜の学校に通い、将来的には学校で勉強したことを活かした仕事に転職することを目的としていました。

リーマンショックの影響もあり、私が望んでいた業界はどちらかというと転職するには厳しいと予想されましたが、運よく転職先を見つけることができました。
働きながら学校という2年間という期間は短いようで長く、体力的にも精神的にも消耗させられました。

このエントリーでは、自分の反省点も踏まえつつ、仕事と学校を両立させていく時に気をつけるポイントを書いてみます。
(あくまで一個人の体験のため、全ての人には参考にならない可能性があることをご了承ください)

○アクセス
まず、仕事と学校の両立をしたいと決めたら、毎日の家、仕事場、学校の3つのアクセスが大きくなるので、できるだけこの3つの移動時間を少なくするように調整します。
私の場合、家→2.0h→職場→0.5h→学校→1.5h→家
という流れでした。朝は6時に起き、夜は大体23時頃に帰宅して、そこから夕飯を取り、風呂に入ると大体12時を過ぎています。(仕事が終わってから夕飯を食べることも検討しましたが、その結果授業中に寝てしまうことが多かったので、食べ物はいれずに授業を受けていました。)

こういうスケジュールなので、木、金には疲労がピークになっていました。できるだけ体力の疲労がたまらないように、学校を選ぶ、もしくは引っ越しをする、仕事を選ぶことが一つのポイントだと思います。

私の場合、家と職場、学校と家の間の通勤時間が1時間以上かかっており、電車に座りながら通勤、帰宅することはできましたが、電車に揺られるだけでも疲労はたまっていきますので、アクセスについてはよく考えて選択することをお勧めします。(体調の整え方については後でまた触れます)

○時間の使い方
昼間仕事をしていると、学校の授業の勉強に費やす時間は限られてきます。かといって睡眠時間を減らすと体力も落ちてきます。
限られた時間の中で、いかに時間を捻出するかがカギになってきます。学校に在籍している間は学校の試験もありますし、資格を取るための勉強もしていました。
私の場合、朝の通勤時間や昼休みは勉強に充てていました。帰路へ向かう時にはさすがに授業の疲れもあり、睡眠時間を確保しているか、読書をしていました)また、仕事が終わってから授業が始まるまでの間に余裕があるときにはその間に睡眠を取っていました。
15分ほどの睡眠時間でも、その間眠気を我慢するよりもいくぶんかすっきりします。

資格についての勉強の仕方は葉玉匡美さんの日経ビジネスのコラムを参考にしていました。(日経ビジネスログインが必要になります)10分勉強法や知識の定着の仕方について学ぶべきところが多いと思います。

○体調の整え方
上にも書きましたが、私の場合大体23時頃毎日帰宅していました。
夕飯と風呂に入るだけで既に日付が変わっています(!)(初めのころはいつの間にか日付が変わっていることに気づくたびにげんなりしてしまいましたが、その分有効に時間を使おうと心構えを新たにしました)
時々風呂に入るのがおっくうになり、シャワーですませる場合もありましたが、湯船につかって全身の疲れを取ることが体の疲労の蓄積を抑えることが大事だということに気づいてからは、できる限り風呂に入るようにしました。

また、睡眠時間が思うように取れないことが続き、朝寝起きが悪い時がありました。私の場合、寝る前にビタミンB剤を飲んでおくと翌朝スムーズに起きることができました。参考までに私が毎日取っていたビタミン剤を紹介します。
[rakuten:hc7:11158027:detail]

○精神的な問題
私が学校に通う目的は昼間の仕事からの転職が目的でした。安定のある職場から別の仕事に移動することを考えているので、職場の雰囲気にのまれたままだと勉強ができませんでした。したがって、昼休みは他の同僚が連れ添って食事に行く中、私は勉強のため一人で取っていました。
正直孤独を感じる時もありましたが、そういうときには、自分でこの道を選択したのだということを強く言い聞かせるようにしていました。
学校の良い点は自分と同じ環境の人がいることです。同じ方向を目標にしている人が近くにいることで、共に頑張ろうという気持ちにさせてくれます。

○周囲の協力
働きながら夜の学校に通うことにおいて周囲の協力は不可欠です。
私が夜学校に通うことを決めたとき、直ぐに部署の上司に相談しました。上司は理解のある方だったので、私が夜学校に通うことを了解してくれました。
また、その後、部署内の同僚にもその事は知らせるようにしました。
もちろん夜学校に通うからといって昼間の仕事の手抜きをしていいということにはなりませんが、あらかじめ伝えておくことで、学校の授業を優先させなければいけない場合には周囲の協力を得られることができます。

また、自分が今の職場を離れると、どうしてもその分残りのメンバーに負担がかかってしまうことは明らかです。そのため私は時間を見つけて引き継ぎのためのマニュアルを作成しておき、離れる前に上司に渡しておきました。このマニュアルは部署内で共有して回覧することができるような場所に置いておき、残った人たちが適宜修正しておける状態にしておきました。


○最後に
正直にいうと働きながら学校に通うことは簡単なものではありません。学校のクラスのメンバーも昼間の仕事が忙しかったり、授業のテストで点数が満たなかったため進級をあきらめたり、自主的に休学した人がいます。それでも、苦しいのは承知の上で自分から自主的に学ぶことで新たな道ができることは確かです。
これからその道のりに挑む人にとってこの記事が役に立てば幸いです。

2010年の振り返り

新年早々出だしからいきなりこのようなことを書くと、反感を買うと思うのだがあえて書くと、初日の出を見に行くという行為が良くわからない。太陽は昨日とはほとんど変わらず、日は昇る。その現象に単なる「初日の出」という意味づけをしているに過ぎない。普段は当たり前のようにあるものを、その瞬間だけ「格式高い」という見方をするのが私には相容れないものがある。
初日の出を見る、という行為が、新年を迎えたことを体と頭に覚えさせるためのイベントなのだろう。

私は新年の騒がしい時間よりも、年が終わっていく時に見られる「家に帰っていく」時の景色が好きだ。都心の電車にのる乗客はいつもより少なく、がらんとして少し寒々しい。けれど、家路に向かう人達は少し急ぎながらも静かな幸福に満ちている。

ここ3年ほど、家で映画を見ながら年を越している。年を越す瞬間は映画の中に入っていて、映画を見終わった後時計を見て、年が明けたことを確認する。その少し前まではそれまではTVをつけていないけれど、Twitterの紅白TLを眺めていた。(ただ単に紅白を見ている人が多かったからなのだけれど)

>>テレビは見ていないけれど、TLを見ているだけで楽しい。これがネオ茶の間か<<
と思わずTwitterでつぶやく。ネオ茶の間とは佐藤尚之さんの「明日の広告」という本に出てくる言葉。茶の間で家族一緒に同じテレビ番組を見るということは少なくなったけれど、ニコニコ動画のコメントだったり、Twitterでの実況だったり同じ空間にはいないけれど、同じコンテンツを楽しんでいる状態。これがネオ茶の間。(明日の広告が出たときにはニコニコ動画を例として挙げていた)

去年を少しだけ振り返ってみると、Twitterの存在が大きかった。昨年度は特に。純粋にTwitterに参加した人が増えたことや、一昨年まで進んでフォローしてこなかった分野の人についてもフォローを始めたことが大きかったのだろう。TLでやり取りしてきた人と、実際に会うことも複数回あった。(特に@HAL_Jさんの英語のオフ会に参加したことがきっかけでやり取りをする人に幅が出来たことが大きかった。感謝しています。)会社の中で仕事をしていると、一日のうちのほとんどが会社の中の人のやり取りに終始してしまうけれども、Twitterではそれがない。年齢も、性別も。バックグラウンドもなしに、つぶやきという文字の集合体ががTLという河になって流れていく。それが面白い。

フォローとフォロワー関係にあることを「つながり」と呼ぶのはいささか行き過ぎている気がしないでもない。もう少し曖昧にみえる。かといって糸が切れているわけではない。
Twitterは箱庭という言葉が以前RTで流れてきた。フォローする人を選択するのは自分なので、TLに流れて欲しくない人をフォローしないと箱庭になるのはやむをえないのかもしれない。箱庭にならないために(公式・非公式)RTがあるのかもしれない。とはいうものの、Twitterをしている人はまだまだごく一部。名前は知っているけれど、毎日定期的に使っている人はそれほど多くない。

Twitter賛歌のように書いてきたけれど最後にこの記事を紹介する。Twitterには限らず、ソーシャルメディアを使っている人へ。頭の片隅に入れておくだけでも悪くはない。

社会貢献ブームとソーシャルメディアが創りだす、善良な下流市民

戦争広告代理店と尖閣諸島問題について

戦争広告代理店について紹介します。90年代に起きたボスニア紛争問題にあるPR会社がどのように関わっていたかを書いた本です。
始めに、この本について特に重要だと感じたポイントについてピックアップします。
その上で、現在日本が巻き込まれている尖閣諸島問題について思うところを書いています。

○あらすじ
以前Twitter上で簡単に紹介しました。そのときの内容についてはTogetterにまとめてあるので、興味のある方はご覧ください。

次に、重要なポイントと思われる部分を4点ピックアップします。

○政府を動かすための手順
始めにシライジッチ外相はアメリカに助けを求めた。その時は、アメリカ側は話を聞く機会は設けてもらったが、アメリカは手をかさなかった。というのも、それはアメリカにとって日常茶飯事の光景だったからだ。ただ、その時にアメリカ側からもらったアドバイスが重要な言葉として書かれている。

アメリカ政府を味方にしたければ、米国世論を動かせ、世論を味方につけたければ、メディアを動かせ(P34)

政府を動かしたいからといって、いきなり政府に持ちかけても重い腰は上げない。
メディア→世論→政府の順番で政府が動かざるを得ない流れに持っていくことが大事。

○話し方のテクニック
まず、メディアに取り上げてもらうためには、声を上げなければならない。この本の中には、
ボスニアの諺「泣かない赤ちゃんはミルクをもらえない」が出てくる。今回の話でいうならば、
赤ちゃん=ボスニア、ミルク=アメリカ(国際的)の支援になる。しかし、そのためのアピール方法にはさまざまなテクニックが必要になる。
サウンドバイト
一言で言うと、小泉元首相の話し方である。話し方が短いセンテンスで構成されているので、メディアがニュースの際に使用するときにも編集がしやすい。(シライジッチは既にこのテクニックは持っていた)
・今まさに起きている状況を説明する
各メディアに露出し始めたシライジッチは、最初のうちはこれまで紛争の歴史や経緯を話そうとした。しかし、ハーフによると、これは視聴者を飽きさせるものだという。長々と歴史や経緯について説明するよりも、現状がどれだけひどいのかを話すほうが視聴者にとっては飽きの来ない新鮮な情報だと映るとハーフは考えていたのだろう。(もちろん同じ手法では長続きはしないが)

大事なのは、今サラエボで何が起こっているのか、それだけです。(P95)

バズワード(buzz word)の権威化
バズワードとはいわゆる流行言葉のこと。ハーフはナチスに関係する言葉は使用しないように注意を払ったものの、ナチスを想起させる言葉「民族浄化」というコピーでセルビア側を非難するキャンペーンを始めた。しかし、このコピーを単なる流行語に終わらせるのではなく、権威付けをするために、国務省に働きかけた。そのために、セルビア側のミロシェビッチ大統領をサダマイズ(サダム・フセイン大統領と同等とみなす)し、来るべきアメリカ選挙でボスニア紛争の解決を一つの争点とさせた結果、政府側も「民族浄化」という強烈なコピーを使い、セルビア側を非難する事を始めた。

○日本のPRについて
この本の中で筆者は日本政府のPRセンスの低さに警鐘を鳴らしている。それは構造的な問題である。アメリカの高級官僚は民間で活躍してから役所に入る、もしくは官僚になってからも一度外に出て経験を積んだ後に戻ることも有る。また、アメリカの場合役所には行った後も一つの所に長い時間とどまるのではなく、色々な省庁を体験して視野を広げることもできる。
 例えば、相手から反論されたときに直ぐ切り返しが出来るテクニックを持っているか。日本の外務官僚は心得ているとは思えないという。本の中に出てくる国務省の官僚は以前弁護士として経験を積んでおり、自分の主張を印象的にアピールする方法を身につけていた。

このサラエボ紛争問題が起こっていたのは1992年と約10年前の話である。しかし、そこで繰り広げられていた情報戦は非常に地道であると共に、高度なものであることが分かる。文庫本のあとがきで筆者は、日本における国家的なPRの欠如を指摘している。

PRによる情報戦が「いいことなのか、わるいことなのか」を問うことも大切だろう。・(略)・・ただ、「言論の自由」や「報道の自由」「表現の自由」をかつては想像もつかなかったほどのメディア環境の劇的な発達とグローバル化を見た現在において守ろうとするなら「情報戦」の進展という要素を排除することは不可能といってよい(P319)

尖閣諸島問題とのリンク

この本を読んでいた時に、丁度尖閣諸島問題が話題に上がっていた。これまで中国側が一方的に日本側が悪いという主張を繰り返している中で、日本国内では小規模な反中国デモが行われていた。しかし、日本側のメディアはそれを取り上げようとせずに、穏便にこの問題を終わらせようとしていたように見える。中国はこれから付き合っていく上で重要な国の一つになることは間違いないが、この件で日本の国際的なイメージダウンは程度の差こそはあれ、全くないわけではないだろう。ちょうどこの問題が起きたときに丁度北京に出張に行っていた人に話を聞くことがあったのだが、北京ではCCTVで24時間英語で日本を非難する放送を世界中に発信していたという。本書でも「人の評判を落とすことは簡単で、根拠があろうとなかろうと、悪い評判を繰り返し流していればいい」という言葉が出てくる。(政治家のO氏に長い間疑惑をかけていることと同じ事が言えそうだ。)ただ、最近では事件が起こった時の映像が流出したことで、日本国内で大規模なデモが行われ、ようやく日本メディアも取り上げ始めている。果たしてメディアに動かされて日本政府が動くのかが今後のポイントになる。ちなみに、現実には、ボスニアのバックにPR会社がついていることを知ったセルビア側がPR戦略を立てようとするものの、PRの重要さに気付くのが遅れたため、最終的には悪のレッテルを貼られてしまった。

今回の問題は戦争の引き金になるまでは行かないかもしれないが、同様のケースは今後も起きてくることは十分にありうる。日本政府は単に自国の文化をPRすることだけに力を注ぐのではなく、このような自国が他国から喧嘩を仕掛けられたときに、自分の国の正当性を保ちながら、相手国を非難することを国際的にアピールする力が必要となってくるはずだ。その為に日本の状況を世界に向けて常に発信する(もちろん英語で)ことが大事だし、ハーフがいたルーダー・フィン社のようなPR企業が行っている仕事を単なる「でっちあげ工作」と捕らえずに、国益を守るための一つの手段としてPRを有効活用してくれることを望みます。

 LLove in the darkに参加しました。

12/4 イベント内容を追加しました。
代官山で1ヶ月限定でオープンしているデザイナーズホテルLLoveで開かれたLLove in the darkに参加してきました。

LLove内の某部屋で始まったイベント。

今回の参加者は男性4名、女性5名の計9名 そこにモデレータの男性が1名加わって計10名で行われました。

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プログラムの中身(12/4追加)

  1. モデレータの人に誘導されて座った場所は全く何も見えない部屋(アイマスクはつけていません)全員がそろった所でオペレーターから今回のプログラムの説明。すでに、何名かの人が居て、声を掛け合い、手を差し伸べられて、どうにか着席をする。先ほどまで光のある空間だったのに、いきなり全くの真っ暗闇の空間に足を踏み入れる。真っ暗闇なので、暗順応と言う言葉も無意味になる。ただ、話し声から「近くにいる」という感覚は有る。部屋は横長になっていて、マットレスの上に座ります。簡単に図に示すとこんな感じ。●が女性、□がちゃぶ台のような背の低い机、○が男性。隣の人とは肩が触れない程度の余裕があったから、声を出さないと居場所が分からない。入口の奥から順番に1,2,3,4,5と名づけて最初は番号で呼び合う。

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                   ●●●●●
                    □ □ □
                   ○○○○○
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  1. 始めにモデレータの方から企画意図についての説明がありました。この企画は、dialog in the darkを基にしたもの。そして、参加する人によってどう進んでいくか(始めから終わりまで真面目に通す。もしくは途中から合コンのようなノリになるか)はまちまちだという。暗闇の中で、不快なボディタッチなどがあった場合はオペレーターに申告すると、イエローカード。1枚目は警告、2枚目で退場です。(これまでにイエローカードが出たことはなかったようです。今回も出ませんでした)
  2. 最初に向かい合っている人と挨拶し、自分のニックネームを掌に指で文字を書いて伝える。分かりやすいように自分は二文字にしたのだけれど、自分の正面に居た人はなかなか分からないようで、相手の指を使って自分の掌の上に名前を書いてようやく分かってもらえました。暗闇の中では漢字よりもひらがな、ひらがなよりもカタカナのほうが分かりやすいですね。
  3. それぞれ自己紹介。ニックネームとヴィジュアルイメージを一言づつ。皆さんかなり異色の方々でした。
  4. 食べ物が配られる。ちゃぶ台の上にきちんと乗せないと落ちてしまうので恐る恐る。その後、飲み物(ビール・酎ハイ)が配られる。缶の上下に気をつけてあける。そして乾杯。(参加者は20歳以上に限られるので全員お酒は飲めるのです)暗闇なので、自分の飲み物の扱いには注意が必要。ぶつかって中身がこぼれてしまうと大変なので、いそいそと飲む。
  5. 食事は手を使って食べられるようなもの。テーブルの間にウェットティッシュがおいてあり、周りの人に協力して配る。モデレータの方からの提案で、皿の上から食べ物をとって相手に食べさせあう。さすがに口まで持っていくのは怖かったので、最初に自分で何かを確認してから相手に手渡しをする。皿の上にあったのは、枝豆、ミニトマト、のりまき、イカのてんぷら、から揚げだったと思う。手で触って確かめて、においをかいで口に入れる。慣れてくると、既にどんな味か分かっているので、手の感覚を信じて口に入れる。
  6. 食事が落ち着いたところで、食べ物はさげて本題へ。まず、マットレスの配置を「ロ」の字に変更。このときに作業が難航し(マットレスの大きさ自体が分からなかったので、めちゃくちゃに)みかねたモデレータの方が携帯のランプをつけて何とかロの字へ。そして、男女交互になって手をつなぐ。一気に距離が近くなる。どきどき。図にするとこんな感じ。

                         ○●○●
                         ●  ○
                         ○●○●

  1. 参加者に聞いてみたい質問を募集して、時計回りに答えていく。将来の夢/年齢/チャームポイント/髪の長さ/どこからが浮気か/結婚願望はあるか(途中で、人の入れ替わりあり)皆さんとても個性的で、この後このまま別れてしまうのがもったいない。と思い始める。始めは体育座りになって話をしていたけれど、オペレーターの提案でちょっと背中をマットレスに預けてみる。急激に眠気が襲ってくる。(もしここで寝て、目が覚めてもこのような真っ暗闇だったらどんな気持ちになるだろうか。と少しだけ考える。怖い。)
  2. 終わった後にこの後どうするかのアンケート。顔を見せずにサヨナラ/顔を見てバイバイ/飲み/話が盛り上がったので、希望者だけ飲みに行こうといこうということになる。参加者の年齢も比較的近かったのが理由かもしれない。
  3. 玄関で待ち合わせ。対面する。暗闇で近かった距離感が一気に遠ざかる。しかし、肝心のモデレータの人がいつまでも現れず、そのまま解散になった。(これが少し心残り)
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次にこのプログラムに参加したきっかけや、参加する前と後でどのように感じたのかについて書いてみよう。

このプログラムに参加したきっかけは、クラヤミ食堂のような体験をしてみたかったからだった。つまり、視覚が無い状態だと自分の体がどのように変化するのかを身を持って体験したかったのだった。

  • 参加する前に考えたこと

・コミュニケーションにどのような変化が生まれるのか:相手の表情が分からない分、自分が話すときはもちろん、相手の話を聞くときにどのように対処するか。間の取り方はどうなるのか

・距離感:目に見えているときと見えていないときの他人との距離感はどう変わるのか。

・味覚の変化(食事が出るということだったので):目が見えていないときに比べてどう変化するのか)

  • 参加した後

・コミュニケーション:相手の表情がわからないし、伝わっているかどうか分からない分、自分の意見をちゃんと伝えようと言う気持ちになる。(相槌という体の動きだと伝わらないけれど、「なるほど」となどの言葉が出てくるとちゃんと聞いてくれているのだな。という気になる。
 相手の話は明るいときに比べ、注意深く聞いていたように思う。一番重要な情報である視覚が断たれたものの、何とか周りの状況を把握しようとして聴覚が鋭くなっているように感じた。
 間の取り方はつかみにくい。ただ会話が途中で止んだときに周りがどういう態度をとっているのか(別の話題に行ったほうがいいのか、それと続けたほうがいいのか。相手の表情が見えないので、そこはカンになってしまう)

・距離感:始めはどのような距離の所に人が居るのが分からない。ただ、手をつないだり、協力して作業したりすることで全体的に連帯感が生まれる。振り返ると、暗闇の時のほうが明るいときも親密になれる気がする。(身体的な距離感も。)これは、暗闇のときはどうしても他人を頼らないと確認できないのことがあるからだと思う。その一方で、明るい時には誰にも頼らずに自立している。つまり、暗闇のときでは「協力者」だった他人が、明るくなるとただの他人になっている。(ただ、暗闇の中でコミュニケーションすると、大まかながら、どのような人かが漠然と分かってくるので、単なる他人とは少し違うのかもしれないが。)

・味覚の変化:自分が手で触って分かる食材については、その味が頭にインプットされているので、味覚に変化は無い。ただ、その中でも口に入れないと分からないものがあると、少し用心して食べてみる。という変化があった。